2008年11月24日

マルティン・ハイデガーと西田幾多郎のファシズム加担について

マルティン・ハイデガーと西田幾多郎のファシズム加担について



本稿は、マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889-1976年)と西田幾多郎(1870-1945年)の哲学と彼等のファシズム加担の関係を分析することを目的とする。

ハイデガーと西田の仕事は、現代の産業資本主義の発展を背景に、そのイデオロギーである近代哲学の内在的批判を試みたという点で、今日でも批判的な検討に値する。彼等はともに、近代認識論の「主観/客観」の枠組と近代社会理論の個人主義(atomism)を批判し、後にそれらの批判を近代ヒューマニズム(人間中心主義)批判として展開した(ハイデガー『世界像の時代』、西田幾多郎『人間的存在』を参照)。また彼等は、観念形態(同一性)をそれが生み出される根源的な差異(関係)の場において捉えることにより、伝統的な哲学(形而上学)の根源的な批判を試みた。これらの点で、彼等の哲学は現代のポストモダニズムの論点を先取りしている。

しかし、彼等の哲学は、第一次大戦後の世界資本主義の帝国主義段階、特に後発帝国主義国としてのドイツと日本における危機的状況に対応する政治的イデオロギーと内在的に連関しており、1930年代以降の歴史的文脈において、その観念論および共同体主義により、ファシズム・イデオロギーに近接した。この観念論および共同体主義への理論的後退が、彼等のファシズム加担の一契機となったと考えることができる。

1. マルティン・ハイデガー

(1) 『存在と時間』とナチズム・イデオロギー

ここではハイデガーの未完の主著『存在と時間』(1927年)を中心に、彼の初期の哲学的著作の分析を行なう。

a. 共同存在

ハイデガーは『存在と時間』で、「認識する主観の存在様相」としての「共同存在」(Mitsein)という概念を提示し、近代認識論の「主観/客観」の枠組と近代社会理論の個人主義を、社会的協働関係における人間の共同主観的なあり方に定位することにより批判したが、この「共同存在」という概念は、ある文脈では、人間が共同体=民族の成員として、運命としての歴史を共有することを意味しており、その意味ではナチズムの「民族共同体」(Volksgemeinschaft)の理念に近似している。

b. 決意性

また、同著で彼がいう、現存在にとっての本来性としての「決意性」(Entschlossenheit)とは、不安によって孤独化された現存在が、沈黙としての「良心の呼び声」の聴取によって世間から自己を連れ戻し、自己を共同存在のなかへ投げ入れることを自ら選択し、決断すること、であるが、これは、共同体の成員として、世論の支配に抗し、考察や討議によって吟味されることなく絶対化された自らの主観を拠りどころとして、無根拠かつ無意味に、決断=行動すること、つまり、共同体の成員としての盲目的な挺身、邁進を意味する。エルンスト・ユンガーやカール・シュミットにもみられるこの決断の自己目的化としての「決断主義」は、議会主義(多数決原理)の不決断に対して独裁(指導者原理)による決断を対置し、自らこれを実行したナチズムのニヒリスティックな行動主義(能動的ニヒリズム)の思想的先取りと考えることができる。

「決意性」は、「『沈黙』の様態で話す」「良心の呼び声」の聴取として定義されているが、「沈黙」とは他者との言語的コミュニケーション(対話)の拒否を意味する。ヒトラーは、誠実、献身に加えて「沈黙」を、「大民族が必ず必要とする徳」(『わが闘争』)として称揚したが、これは議会での代表者の討論を経た後に政策を決定するという政治過程を否定するものである。1935年の講義『形而上学入門』にもこの「決意性」の概念への言及がある。

c. 情緒性(気分)の優位

ヒトラーは大衆の情緒性を評価し、知性よりも感情に訴える扇動的な宣伝や演説を重視したが、ハイデガーも『存在と時間』で、知性(認識)に対する感情(気分)の優位、根源性を強調し、演説を大衆の情緒に訴えるものと述べている。この感情の根源性については、1936〜1937年の講義『芸術としての力への意志』にも言及がある。

d. 精神

ハイデガーは「共同存在」という概念によって近代認識論の「主観/客観」関係を批判し、後にその批判を近代ヒューマニズム(人間中心主義)批判として展開したが、その一方で、『存在と時間』の第81節・82節では、根源的なものとしての「精神」(Geist)の概念を観念論的に蘇生させている。『形而上学入門』でも、ドイツ観念論を称揚しつつ、ヘーゲル的な「精神」の概念を復権している。

(2) ナチズム加担―「精神」としての決意性

ここでは、ヒトラー政権下においてハイデガーがナチズム支持を表明した政治的なテクストと、彼の哲学的著作との関連について述べる。ハイデガーのナチズム加担の事実と経緯の詳細については、ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』を参照。

a. フライブルク大学総長就任演説『ドイツ大学の自己主張』(1933年)

ヒトラー政権成立から約3ヶ月後の1933年5月、ハイデガーはナチ党に入党し、フライブルク大学総長の就任演説(『ドイツ大学の自己主張』)を行なった。ナチズムの「民族共同体」の理念に対する全面的な支持を表明したこの演説は、「民族」、「精神」、「存在」、「決意性」などの基本的な語彙および文脈を『存在と時間』から受け継いでいる。カール・レーヴィットによれば、この演説は、「ハイデガーの歴史的実存の哲学をドイツの諸現象のなかに移しこんだものであり、これによって、彼の現実に働きかけていく意志が、その足場を得、実存的諸範疇の形式的輪郭が、決定的内容を獲得したもの」(『カール・シュミットの機会原因的決断主義』)である。

b. 『ドイツの男女よ!』(フライブルク学生新聞、1933年)

1933年11月の国民投票において、ハイデガーはフライブルク大学の学生を率いて投票場へ行進させ、ヒトラーの政策への賛成投票を行なわせた。そのときに彼が大学総長として行なった投票へのアピールが、フライブルク学生新聞に掲載された小文『ドイツの男女よ!』である。ここで唱えられている「決断」とは、指導者(ヒトラー)の独裁を無条件に支持することである。同月、ハイデガーは、ヒトラーを支持するドイツの学者の政治集会での演説でも同様のアピールを繰返している。

c. 『われわれはなぜ田舎にとどまるか?』(1934年)

ハイデガーは1934年3月にラジオ放送された講演『われわれはなぜ田舎にとどまるか?』において、都市の生活を批判し、自らの哲学が郷土の農村共同体に帰属することを強調しているが、ここにはナチズムの農本主義イデオロギーに対する賛同を読みとることができる。このテクストはナチ党の機関紙に掲載されている。

(3) 1930年代以降の新たな諸論点―形而上学批判、「存在」概念の神秘化

1930年代のいわゆる「転回」以降、ハイデガーは形而上学批判という論点を主題化し、『存在と時間』の段階から理論的に前進したが、その一方で、「存在」の概念を自己発展的な実体とみなす神秘主義に陥った。

a. 形而上学批判

ハイデガーは1940年の講義『ヨーロッパのニヒリズム』や1957年の講演『形而上学の存在‐神‐論的様態』などのテクストにおいて、存在と存在者との「存在論的差異」(die ontologische Differenz)という概念を提示し、西洋形而上学(理性=ロゴスによる存在者全体の把握)が、「同一性/差異」という二項対立そのものを派生させるような根源的な差異を隠蔽・忘却することによって成立することを指摘した。では、ハイデガーがいう「存在」とは何か。

b. 「存在」概念の神秘化

ハイデガーの「存在」概念は、1930年代以降、『形而上学入門』などのテクストにおいて、ギリシア哲学でいう「ピュシス」(Physis=自然)を意味するものとして、積極的な規定を与えられた。ハイデガーにとっての「存在」とは、それ自身の力によって展開する実体という神秘的な概念である。ジョージ・スタイナーが指摘するように、「存在」の概念が「ハイデガーのテクストの多くの重要なページにおいて、『一者』、『第一原理』、『絶対者』、単純には『神』の置き換え」(『ハイデガー』)であることは明らかである。「存在」という概念こそが形而上学的なのだ。

2. 西田幾多郎

(1) 個と一般性の相剋

西田幾多郎は『善の研究』(1911年)その他の著作によって、明治以降の日本の近代化、すなわち日本資本主義の発展とその帝国主義への転化を背景に、日本の伝統的な観念形態を西洋哲学(特にヘーゲル)の概念を援用して論理化する、独自のイデオロギッシュなブルジョワ観念論哲学を創始した。そのため、西田の思想行程においては、西洋的=近代的な個人と日本的=前近代的な共同体原理に基づく天皇制国家とのあいだの葛藤が、個と一般性の相剋という論理的主題として追究されていると考えることができる。ここでは、西田哲学の形成過程における個と一般性の相剋を、『善の研究』、『場所』(1926年)、『私と汝』(1932年)、『弁証法的一般者としての世界』(1934年)、『絶対矛盾的自己同一』(1939年)の5つのテクストを中心に追跡する。

a. 『善の研究』(1911年)

1911年の著作『善の研究』では、意識現象を唯一の実在とする、ウィリアム・ジェームズ的な「純粋経験」論、および概念を自己発展的実体とみなすヘーゲル的な観念論の立場から、近代認識論の「主観/客観」の枠組と近代社会理論の個人主義の双方が批判されている。

個と一般性の主題についてみれば、西田はここでは、ヘーゲルにならって個人性を一般性の自己限定として捉えており、これは政治的には個人を共同体(国家)の部分とみなすことを意味している。西田は@家族→A国家→B(理想としての)人類的社会の団結、という「社会的意識」の発展段階説を唱えているが、この説は、国家を家族の延長とする点で、ヘーゲルが構想した、家族→市民社会→国家という「自由」の概念の発展段階説とは異なっている。西田のこの説は、天皇制の支配原理を正統化するイデオロギーとしての「国体」思想に対応するものである。

また西田は、実在の根底に「神」の存在を認め、宗教を人と絶対的超越者との関係としてではなく、共同体的・血族的関係として定義しているが、超越者を共同体内部の人格のうちに見出すこの宗教観も天皇制に符合している。

以上のように西田は、個人主義と国家主義を折衷し、個人の独立性を消去してしまう。山田宗睦は、『善の研究』が、「北村透谷にはじまった『想世界』の公的実現、すなわち、天皇制から独立に自立した思想の生産と流通する世界をうみだすこと」(『日本型思想の原像』)を意図していたと述べているが、『善の研究』が天皇制から真に自立しうるような社会思想を形成しえていないことは明らかである。

b. 『場所』(1926年)

西田は『善の研究』における「純粋経験」の立場から、『自覚に於ける直観と反省』(1917年)その他の論文における「自覚」の立場を経て、1926年の論文『場所』において、その後の西田哲学の方向を決定する「場所の論理」へと移行する。西田は、関係の項と関係そのものを区別し、「関係を統一するもの」としての一般概念から区別されるところの「関係が於いてあるもの」を「場所」と呼んだ。「場所」とは固定した実体(有)ではなく、流動的な関係が「於いてあるもの」として「無」である。「純粋経験」および「自覚」の立場では、意識体系が統一的に発展するという一元論が唱えられていたが、「場所」の概念の導入により、一般性そのものを成立させる場としての根源的な差異という理論的視界が拓かれ、一般性に包摂されえない個の独立性、個人の主体性に着目することが可能となった。しかし西田は、「場所」を「無」の一般者として解釈することにより、その意義を自ら否定してしまう。西田はこの段階でも個をあくまで「一般者の自己限定」として捉えていた。

c. 『私と汝』(1932年)

1932年の論文『私と汝』では、自己と他者の社会的関係の外部性が論じられており、個は一般性に包摂されえない絶対的な単独性において捉えられているが、同時に個をあくまで「一般者の自己限定」としても捉えており、あからさまな矛盾に陥っている。西田はこの矛盾を、「絶対に他と考えられるもの」を「自己に於て見る」というかたちで解消した。西田は他者を自己の意識に内面化することにより、社会的関係の外部性を消去したのである。

d. 『弁証法的一般者としての世界』(1934年)

1934年の論文『弁証法的一般者としての世界』では、後に「絶対矛盾的自己同一」という概念によって定式化される西田哲学の最終形態の論理が提示されている。ここで西田は、個の単独性(独立性)を個と個との社会的諸関係に見出し、個と個が互いに限定しあう、「個物と個物との相互限定」という概念を導入した。個の多数性を強調するこの視点は、全体を一つの一般者による有機的統一とみるヘーゲル的な一元論とは異なる、ライプニッツの単子論のような一種の多元論であるが、ここにおいて、個と一般性の相剋は、「部分」と「全体」の関係として、「一々の部分が独立」でありかつ「それが全体の意義を有する」というかたちで、すなわち「一即多、多即一」という論理的飛躍によって強引に統一されてしまう。この詭弁的論理によって、個の独立性を認めつつ個を共同体のうちに統合するという欺瞞が改めて正当化される。西田の哲学は、いくら個の独立性・多数性を強調しても、個を限定するものとしての一般性をその基底に置くかぎり、結局一元論に舞い戻るほかない。

e. 『絶対矛盾的自己同一』(1939年)

1939年の論文『絶対矛盾的自己同一』で提示された「絶対矛盾的自己同一」の概念は、前項で述べたように、絶対に矛盾するもの、すなわち個と一般性が同一であるということを意味する。この概念は、西田の社会理論の文脈では、「倫理的実体」としての国家とその形成要素としての個人を媒介するものとして使用されている。国家を価値的実体とするこの論理は、丸山真男が指摘したように、天皇制を中核とする近代日本の国家主義イデオロギーの特徴である(『現代政治の思想と行動』)。

(2) 『世界新秩序の原理』(1943年)と西田哲学

以上にみたように、西田の哲学は当初から天皇制国家の支配原理に対して親和的であり、その観念論と共同体主義は『善の研究』以来一貫している。その帰結として、西田哲学は1930年代以降の歴史的文脈において、天皇制ファシズムを理論的に正当化するイデオロギーとなった。太平洋戦争下の1943年に西田が書いた政治文書『世界新秩序の原理』は、その正当化の論理を展開したものである。

『世界新秩序の原理』は、東條内閣が「大東亜共栄圏」構想のための「大東亜共同宣言」の作成にあたり、その「参考資料」として西田にその理念の起草を依頼し、西田がこれに応えて書いたものである。西田の弟子筋の三木清は、すでに日中戦争の段階で、近衛文麿側近の知識人集団「昭和研究会」に参加し、近衛内閣による「東亜新秩序声明」(1938年)に呼応するかたちで「東亜新秩序」=「東亜共同体」論を提起していたが、西田による太平洋戦争の正当化は、この三木の立論に沿ったものであった。

西田は1938年の講演『日本文化の問題』で、日本の皇室を、「主体的なるものを超越」する、「主体的一と個物的多との矛盾的自己同一」と捉える皇室中心主義を唱えていたが、『世界新秩序の原理』では、この皇室中心主義に基づき、個が個でありつつ有機的な全体的統一を形成するという論理によって、国家が国家でありつつ国家を超えたブロックを構成するという天皇制ファシズムの超国家主義が合理化され、帝国主義諸国の世界再分割闘争の一環としての日本の対アジア侵略と対米戦争がイデオロギー的に正当化されている。

(3) 西田哲学における「主体」の消去

西田哲学の方法は、戸坂潤が『日本イデオロギー論』で批判したように、ロマン主義的・ドイツ観念論的な「世界の解釈」に終始するものであった。それは小林秀雄が「他人というものの抵抗を全く感じ得ない」(『学者と官僚』)と評したように、「他者」を欠いていたのであり、西田は日本国家を「倫理的実体」とみなしてこれに依拠することにより、他者との社会的関係においてのみありうる個人の倫理的な主体性を消去したのである。

3. 総括―ロマン主義的反動としての近代批判

ハイデガーと西田の「近代」批判は、主観主義、個人主義、ヒューマニズム(人間中心主義)等のブルジョワ・イデオロギーを産業資本主義との関係において捉え、これを内在的に批判した点では評価できるが、その批判は観念論の枠内にとどまり、資本制そのものに及ぶものではなかった。彼等は、世界資本主義の帝国主義段階における国家独占資本主義体制への移行とそれに基づく経済的=政治的ブロックの形成(ドイツを中心とするヨーロッパの統合、日本を中心とするアジアの統合)をイデオロギッシュに追認したにすぎない。

彼等は近代哲学の個人的=普遍的な主観に対して共同的=民族的な主観を対置したが、このようなロマン主義的反動としての近代哲学批判は、ドイツの資本主義の発達の後進性(市民社会の未成熟)を背景にして形成されたドイツ観念論哲学にすでにみることができる。ヘーゲルの絶対的観念論および社会有機体論には啓蒙主義と個人主義に対する批判が含意されており、ハイデガーはその伝統を継承している。一方、日本では、伝統的=前近代的な共同体原理にもとづく天皇制国家の形成によって近代的な市民社会の成長が阻止されるという状況のなかで、ドイツ哲学を模範として独自の観念論哲学を創始したのが西田幾多郎であり、西田哲学も基本的にロマン主義的な観念論の域を出ることはなかった。

(1991年作成、2008年改稿)

―参考文献―

<ハイデガー>
ハイデッガー『形而上学入門』、川原栄峰訳、理想社、1960年
ハイデッガー『同一性と差異性』、大江精志郎訳、理想社、1960年
ハイデッガー『存在と時間』上・下、細谷貞雄、亀井裕、船橋弘訳、理想社、1963年
ハイデッガー『カントと形而上学の問題』、木場深定訳、理想社、1967年
ハイデッガー『有の問いへ』、柿原篤弥訳、理想社、1970年
マルティン・ハイデガー『ニーチェ』T・U・V、薗田宗人訳、白水社、1986年
ハイデッガー全集第5巻『杣径』、茅野良雄、ハンス・ブロッカルト訳、創文社、1988年
ハイデッガー全集第9巻『道標』、辻村公一、ハルトムート・ブフナー訳、創文社、1985年
カール・レーヴィット『ハイデッガー―乏しき時代の思索者』、杉田泰一、岡崎英輔訳、未来社、1968年
ジョージ・スタイナー『ハイデガー』、生松敬三訳、岩波書店、1980年
ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』、山本尤訳、名古屋大学出版会、1990年
ジャック・デリダ『精神について―ハイデッガーと問い』、港道隆訳、人文書院、1990年
原佑『ハイデッガー』、勁草書房、1958年
木田元『ハイデガー』、岩波書店、1983年

<西田幾多郎>
西田幾多郎『善の研究』、岩波書店、1921年
西田幾多郎『思索と体験』、岩波書店、1919年
西田幾多郎『哲学の根本問題 続編(弁証法的世界)』、岩波書店、1934年
西田幾多郎全集第二巻『自覚に於ける直観と反省』、岩波書店、1965年
西田幾多郎全集第四巻『働くものから見るものへ』、岩波書店、1965年
西田幾多郎全集第六巻『無の自覚的限定』、岩波書店、1965年
西田幾多郎全集第九巻『哲学論文集 第三』、岩波書店、1965年
西田幾多郎全集第十巻、岩波書店、1965年
西田幾多郎全集第十二巻、岩波書店、1966年
上山春平『絶対無の研究』―上山春平責任編集『西田幾多郎』(中央公論社、1970年)所収
鈴木亨『西田幾多郎の世界』、勁草書房、1977年
下村寅太郎全集12『西田哲学と日本の思想』、みすず書房、1990年

<マルクス主義とイデオロギー論>
カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』、廣松渉編訳、河出書房新社、1981年
戸坂潤『日本イデオロギー論』、岩波書店(文庫)、1977年
ルイ・アルチュセール『国家とイデオロギー』、西川長夫訳、福村出版、1975年
廣松渉『マルクス主義の地平』、勁草書房、1969年

<政治・権力論>
マックス・ヴェーバー『社会学の根本概念』、清水幾太郎訳、岩波書店、1972年
マックス・ヴェーバー『職業としての政治』、脇圭平訳、岩波書店、1980年
カール・シュミット『政治的なものの概念』、田中浩、原田武雄訳、未来社、1970年
カール・シュミット『政治神学』、田中浩、原田武雄訳、未来社、1971年
ミシェル・フーコー『監獄の誕生 ―監視と処罰―』、田村俶訳、新潮社、1977年
ミシェル・フーコー『性の歴史 T 知への意志』、渡辺守章訳、新潮社、1986年

<ファシズム・天皇制論>
ニコス・プーランツァス『ファシズムと独裁』、田中正人訳、社会評論社、1978年
山口定『ファシズム』、有斐閣、1979年
丸山真男『現代政治の思想と行動』増補版、未来社、1964年
藤田省三『天皇制国家の支配原理』第二版、未来社、1966年

<思想史>
E・フッサール、M・ハイデッガー、M・ホルクハイマー『30年代の危機と哲学』、清水多吉、菅谷規矩雄他訳、イザラ書房、1976年
ルカーチ著作集12・13『理性の破壊』、暉峻凌三、飯島宗享、生松敬三訳、白水社、1968年
カール・レーヴィット『ヨーロッパのニヒリズム』、柴田治三郎訳、筑摩書房、1948年
カール・レーヴィット『カール・シュミットの機会原因論的決定主義』―カール・シュミット『政治神学』(田中浩、原田武雄訳、未来社、1971年)所収
脇圭平『知識人と政治―ドイツ・1914〜1933―』、岩波書店、1973年
生松敬三『人間への問いと現代―ナチズム前夜の思想史』、NHKブックス、1975年
八田恭昌『ヴァイマルの反逆者たち』、世界思想社、1981年
古田光『日本的観念論哲学の成立』―遠山茂樹、山崎正一、大井正編『近代日本思想史』第二巻(青木書店、1956年)所収
古田光『西田幾多郎』―務台理作、山崎正一編『近代社会思想史論』(青木書店、1959年)所収
古田光『十五年戦争下の思想と哲学』―古田光、作田啓一、生松敬三編集『近代日本社会思想史 U』(有斐閣、1971年)所収
山田宗睦『日本型思想の原像』、三一書房、1961年
廣松渉『<近代の超克>論―昭和思想史への一断想』、朝日出版社、1980年
加藤周一『日本人とは何か』、講談社(文庫)、1976年
福田恒存編集・解説『反近代の思想』、筑摩書房、1965年
柄谷行人『ファシズムの問題―ド・マン/ハイデガー/西田幾多郎』―柄谷行人『言葉と悲劇』(第三文明社、1989年)所収
柄谷行人『ライプニッツ症候群―西田哲学』―『季刊思潮』第三号、思潮社、1989年
竹内芳郎『ポスト=モダンと天皇教の現在―現代文明崩壊期に臨んで』、筑摩書房、1989年
『季刊思潮』第四号「<近代の超克>と西田哲学」、思潮社、1989年
『現代思想』第十六巻第三号「特集=ファシズム <精神>の宿命」、青土社、1988年
『現代思想』第十七巻第五号「総特集 ファシズム」(臨時増刊号)、青土社、1989年
この記事へのコメント
 わぁー
 本格的!
  一般法則論
Posted by 一般法則論者 at 2008年11月25日 03:15
西田とハイデッガーの負の側面が、纏められていています。人間存在は時代の制約から抜け出すことができないということの教訓を受け取ったような気がします。後から生まれてきた幸運だけではなく、これを他山の石として生きていきたいと思います。
Posted by 草壁聖一 at 2014年05月28日 10:45
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